打席に立たなきゃ、ボールを投げてももらえない
・割り算じゃなく足し算
・打席に立たなきゃ、ボールを投げてももらえない
・なにを言ったかじゃない。なにをしたか、それに尽きる
03月19日の「今日のダーリン」
・イチロー選手は、打率よりもヒット数を大切に考えた。打率のいちばん高い選手は、首位打者としての栄誉を得ることができるのだけれど、率を下げないために出場をしないという選択もありうる。しかし、ヒット数というのは、機会が増えるたびに、ただただ足し算で増えていくから、続けて何本も打てることだってあるし、打席に立っているかぎりは減ることはない。 いつでも、頭のなかの割り算を忘れて、具体的に「ヒット」を打つというシンプルな方法は、じぶんが「なにをするべきか」を明確にしてくれる。
他のことでも、同じようなことは言えると思うのだ。いわゆる、よくモテる男などは、ふられることを怖れずに、女性にアプローチする。何人口説いて、何人にふられたとしても、ひとりでもふたりでも相手にしてくれる人がいるなら、それは、望みが叶ったということだからね。
逆のケースは「参加しない、つまり口説かない」だ。アウトになるのがいやだから、打席に立たない。実際に打席に立ってはいないのに、「あわよくば」という期待があるのが図々しい(笑)。「興味なかったんだけど、口説かれちゃって」とかね。そんなの、一等の宝くじが風で飛んでくるような話だぞ。打席に立たないけれど「ああでもないこうでもない」と、知ったような評論をしたり、試合中の選手に対して、欠点を指摘したりするようなことも、よくあるしねー。
・積み重ねるヒットを打つために、いまなにをしたらいい?それしかないんじゃないかと思うんだよね。他の人が打ったヒットの資料をゴマンと読んだところで、打席に立たなきゃ、ボールを投げてももらえない。
ぼくも、それなりに長く生きているうちには、たくさんの別れも経験してきて、強く思うことがある。「人の一生っていうのはさぁ、なにを言ったかじゃない。なにをしたか、それに尽きるんだよ。いいこと、親切、冒険、人騒がせ、仕事‥‥」なにを言ったかは、やったことの索引にしか過ぎない。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。評価とか評判なんてものも、打率に似てるかもしれないね。