fact beats dreams

「理念なき行動は凶器、行動なき理念は無価値」だってさ

2つの自由/「~からの自由」と「~への自由」

2つの自由か。この視点は大事にしたい。

消極的な自由(「~からの自由」)と、積極的な自由(「~への自由」)。

 

wired.jp

2つの自由

慰めになるとすれば、こう自問するのがトランプ政権時代の米国人が初めてではない、ということだろうか。第二次世界大戦中、心理学者のエーリッヒ・フロムは、著書『自由からの逃走』〈東京創元社〉のなかで、「全体的には個人の自由の拡大の方向へと向かっていたのにもかかわらず、なぜ西側世界の多くが権威主義を受け入れたのか?」と、問いかけた。

これは単なる「逸脱」であり、数人の狂人たちが「ずるがしこく巧妙に立ち回り、国家という巨大な機構における権力を得て」、有権者たちを「意志をもたずに、裏切りと恐怖を受けとるだけの存在」にしたせいだと考えたくなるかもしれない。だがそれは責任転嫁だ、とフロムは言う。人にはもともと、真の自由を恐れ、自由であるよりも誰かに支配されたいと思う傾向があったというのだ。つまりフロムは、これは人間性のバグなのではなく、人間性がもともと抱えるひとつの機能と考えたわけだ。

 

この問題を説明するにあたって、フロムは2種類の自由を区別している。つまり、社会的・政治的・文化的な制約から解放された消極的な自由(「~からの自由」)と、自己とアイデンティティを真に表現した状態を求める積極的な自由(「~への自由」)だ。積極的な自由なしで消極的な自由が生じると、「新たに勝ち取った自由が呪いのようにみえる。人々は、心地よく甘い束縛から解放されるが、自己を統制できる自由はないし、自分の個性を実現する自由もない」とフロムは書いている。

こうした区別は、イラク戦争や「アラブの春」で活動した学生たちにはわかりやすいかもしれない。「自由」の名において独裁者が倒されたものの、混乱と権力の空白が生じ、軍閥主義に移行したのが当時の状況だ。そしてこれは、トランプが大統領選で勝利した理由の説明にもなるだろう。人々はこれまで、多くの仲介者や企業、硬直化し人間性を抑圧する官僚制的組織から解き放たれ、消極的な自由を達成してきた。だが、もっと有意義な社会(積極的な自由)を生み出す手段や力が存在しないなかで、一部の人々は、居心地のいい権威主義と支配の世界に逆戻りしている。

これが、テック業界がいま直面している世界であり、少なくとも一部はテック業界がつくり出した世界だ。個人を解放するマシンと言葉は、倒す対象だった勢力に利用され、蝕まれている。政府が発するごまかしの言葉や忍び寄る権威主義、国家による監視が、これからの時代がどうなるかを決めそうだと懸念する人たちも多い。

もしかするとわれわれは、米国をここまで動かしてきた技術の力を取り戻して、こうした趨勢に抵抗できるかもしれない。だがわれわれは、それでは不十分だということもわかっている。テック業界は、消極的な自由を実現した。ここで問題なのは、人々がいま、何を行なうかなのだ。